吸血鬼続き 「来てくれると思わなかったな」 ニコニコと微笑みながら、響也は果物を刻んだ。 テーブルを挟んで向かいのソファーに座っている法介は、緊張と気恥ずかしさに襲われながら、辛うじて「はい」と返事をした。 「そんなに、ガチガチにならなくても獲って喰ったりしないってば。」 可笑しそうにそう告げて、クスクスと笑う。 「からかうんなら、俺帰りますよ。」 「あ、嘘だよ。嬉しくてはしゃいでるんだって、ごめん」 「子供ですからねぇ、響也さんは」 ぱっと表情を変える響也が可愛くて、からかってしまうのは法介の方だ。今も、拗ねた表情で口をへの字に曲げながら、おもてなし用に果物の皮を剥いている。 人前に姿を現すような危険は、極力避けたい法介だったが、警戒が強化されるにつれて、外で遭う事が難しくなっていた。本来ならば、狩りのし難い場所は移動するのが鉄則だけれども、法介の足は他の街には向かなかった。 「忙しいのはわかるけど、日中に遭いたいな。」 響也が告げた言葉に、コトリと胸が鳴った。 「なんで、ですか?」 「うん、法介の笑い顔って、きっとお日様によく似合うんだろうなって思うから…かな?」 「そんなもん、何処で見たって変わりませんよ?」 完全に呆れ顔になった法介を指さして、響也はムキになって反論してくる。 「あ、またそんな顔して! 絶対法介は…痛っ、たたた!」 「何やってるんですか、刃物を握ったんですか?」 平気平気と苦笑いをする相手を見かねて、握り込んでいる指を開かせた。 浅い傷でも指先は血管が張り巡らされている部位。開いた途端、血が持つ鉄の臭いが、響也の体温を借りてふわりと広がる。 臭いに誘われるとはこの事だ。 腹から爪に滴り落ちる血液の色も、眼から法介を狂わせる。 指の間にも丁寧に舌を這わせてから、膨らみをもった赤い液体に唇を寄せた。チュと吸い込むと、鉄の味が口内に広がった。 今まで、感じた事もないほどの甘さ。余韻に震える舌は、更なる味わいを求め、舌先で傷口を割った。 じわりと滲む液体は、法介を魅了して離さない。 「…っ…。」 響也が痛みに綺麗な眉をギュッと顰めるのが見えた。法介に拘束されていない方の手を肩口に置いて、押す。 しかし、躊躇いがちの仕草など、法介の行動を止める手だてには成り得なかった。前のめりに身体を傾け、体重を掛けて響也をソファーに倒す。 「…法…す…。」 尋常ではない法介の様子に、響也は脅えたように瞳を揺らしたが、抵抗はしない。首筋を覆う髪を解いていく指先にも逆らう事もなく、受け入れ易いように反対に顔を逸らす。 素肌にかかる吐息が、情事に向かう法介の常よりも熱い。その事実に、少しだけ恐怖の感情が浮かんだ。 弾力のある響也の肌は、法介の牙を拒むように弾く。それが、唯一の抵抗になった。 力を込めるつもりで、顔を上げた法介は息を飲む。部屋に置かれた姿見が、飛びかけていた法介の理性を完全に引き戻した。 そこに、映っているのは響也だけ。吸血鬼である法介の身体などありはしない。 この世界に必要ないと宣言されているように、法介のいる場所には、部屋の家具等が写し出されていた。 その現実を見たくないのに、視線を逸らすことが出来なかった。 俺は、自分が何者であるのか、忘れていたのではないのか? ノコノコと人間の住処に顔を出すなんて、その証拠だろう。 ギュッと、法介の服が強く引かれ、ハッと視線を戻す。組み敷いていた相手が眉尻を落として、怪訝な表情で見上げていた。 「…法介…僕は、いいよ?」 ギクリと心臓が鳴ったが、響也が言っているのは吸血行為の事ではなく、セックスの事だと思い直して胸を撫で下ろす。 「すみません、明るいと落ち着かなくて…消しますね。」 響也が鏡に気付く前に、横のテーブルに置かれたリモコンを操作して部屋から光をなくした。遮光カーテンが引かれた部屋は、月明かりさえも受け付けずに、部屋を闇に変えてしまう。 法介の服を掴んでいた指の力が強くなる。断続的に震えているのもわかった。 「どうしたんですか?」 「…何も見えないと、少し恐い。」 喉に絡んだ声は、確かに強ばって法介に聞こえた。 頬に掌を宛ってやれば、小動物に似た仕草で擦り寄ってきた。指先を滑る肌の感触も、その鼓動も、死に逝く者達が法介に与えるそれとはまるで違う。 生ある者の触感に、口から漏れそうになる安堵の溜息を飲み込む。 言葉にならない想いごと、強く腕の中に抱き込んだ。 殺したくない訳じゃない。捕食することを放棄した訳でもない。 …本能にただ任せて、血を啜るのが嫌なだけだ。 自分の獲物は、望んだ時に、望んだ状況で、思うままに貪りたい。 何かに急かされる事など、本能といえどもご免だ。俺は獣じゃない、思考を持った存在なのだ。 だからこそ、今この獲物に手をつけない。そう、理由はそれだけ。…きっと、それだけだ。 「…法介…泣いてるの?」 「啼きませんよ、アナタじゃあるまいし。」 全ては、闇が隠してくれる。 〜Fin
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